100歳まで元気に生きるっチャ

自称若者のバァバが斜めから見たこの世の中。捨てたもんじゃおませんよ。

生まれ変わった桃田選手を手放しで応援する

目次

 

日本のバドミントン界を背負う桃田選手

 

桃田選手。

言うまでもなく日本随一のバドミントンの王者であり、
世界の王者でもあります。

 

 

最近の成果は、
2019年世界バドミントン連盟の年間最優秀選手に輝くなど、
まさに快進撃と言わざるを得ません。

 

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この写真は三豊市に対して、
日本バドミントン協会、
桃田選手所属のエージェント様
のご好意によりいただいたものです。

「三豊市議会だより」2020年2月号の表紙を飾りました。
それを拝借しました。


桃田選手の生い立ち

桃田選手の出身地は?
はい、香川県「三豊市」です。
三豊は、「みとよ」と読んでくださいね。

前市長が語っていましたよ。
全国的な集会に出かけると
「みつとよ」だの「さんぽう」だのと言われ、
まともに言ってくださることがなかったんだと。

 

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                 (三豊市の地図)


この三豊市は「平成の大合併」の折り、
7つの町が集まってできた田園都市です。

桃田賢斗さんはこのうちの1つ「三野町」吉津に生まれました。
そして、地元の「吉津小学校」を卒業したのです。

その時にはすでにバドミントンの才能を表し、
小学校6年生の時には、全国小学生選手権シングルスで優勝しています。

 

 

 

 

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 田園地帯には稀な瀟洒なおうちです。

ご両親と姉夫妻が住んでいると言います。

 

車庫側から見たお庭。

小さいお子さんがいらっしゃるようです。

桃田少年とバドミントンとの出会い

バドミントンは小学校2年の時に姉のめい子さんが習っていたので、
それを見て、まず地元クラブに入会し、始めたといいます。

加えて父親の桃田信弘さんが勧めたこともきっかけになった
ようです。

 


バドミントンの名門校に進学

地元の「吉津小学校」を卒業するや、
本人の希望で、バドミントンの名門である、
富岡町立富岡第一中学校(福島県)に進学しました。

 

おじいさんがその当時を語る

「当時、家族一同で反対したんやけど、
本人は“どうしても行きたい”って譲らんかった。
小さいときから素直な子じゃったけど、
この時だけは“もう、じいちゃん好かん”とまで言い出してな。
男の子はかわいいから、地元から離れるのは寂しかったよ。
でも最後は本人の意志を尊重して、応援することに決めたんや」


富岡第一中学校を卒業後は、福島県立富岡高等学校を卒業。
そして2013年4月にNTT東日本へ入社。


輝かしい戦歴


【中学時代】
3年生時の2009年、全国中学校バドミントン大会で優勝。

全日本ジュニアバドミントン選手権大会でベスト4に入り、
男子選手としては史上初めて、
中学生で全日本総合選手権の予選に出場しています。


【高校時代】

インターハイでは、2011年にダブルスで優勝し、
2012年にはシングルスで優勝しています。

国際大会では2012年、アジアユース選手権男子シングルスで金メダルを獲得し、
団体戦との2冠を達成。

世界ジュニア選手権では個人戦男子シングルスで優勝し、
日本勢で初めてジュニア世界一に輝きました。

その後、高校卒業までにオーストリアで開催された国際大会などで優勝し、
世界ランキングは50位まで浮上しています。

 

桃田賢斗選手とお父さん

 桃田選手の命名したのはお父さん。

『スーパーマン』の主人公クラーク・ケントにちなんで
つけられたとか。

 

その頃からお父さんの目は世界を見詰めていらっしゃったん
でしょうかね。

 

お父さんは桃田信弘さんとおっしゃり、
現在は地元の会社の専務取締役をされています。

 


お父さんはバドの名手だったか?

 いいえ、信弘さんにはバドミントン経験がありませんでした。

 

が、子供のためにバドミントンを独学で勉強して指導したり、
自宅の駐車場にバドミントンコートと同じ長さのラインを引いたりして
息子さんの練習につきっきりだったと言います。

 

それからの桃田選手の活躍ぶりは、まさに快進撃。
が、気になることもあったようです。

 


桃田選手をむしばんでいった日常

試合に勝てば賞金が入ります。
金額は分かりませんが、われわれサラリーマン家庭とは
ケタが違うことだけは容易に想像がつきます。

 

若い桃田選手の金銭感覚を狂わせるには十分だった額だったの
でしょう。

 

お金の魅力は、桃田選手を少しずつむしばんでいきました。

身なりや生活態度が派手になっていたのですね。

 

桃田賢斗選手自身は過去にこのようなコメントも残しています。
「(大会の優勝賞金を)ぱあっと使いたい。
周りが分かるぐらい派手な生活をして、
ガキんちょが憧れるように見本になりたい」って。


泣いて諫めたお父さんと恩師 

お父さんの信弘さんはいち早く息子さんの「異変」に気づき、
はるばる福島へまで乗り込みました。

そして、手を振り上げ、泣いて一喝したんです。
でももう、その時は遅すぎました。



2016年4月、インド・オープン決勝でアクセルセンを下してスーパーシリーズで
今季初優勝し、4月7日付世界ランキングで自己最高を更新する2位となった。

同日、桃田を含むNTT東日本選手が東京都内の違法カジノ店にて
賭博をしていたことが判明し、
桃田は出場中だったマレーシアオープンを棄権して急遽帰国し、
8日に開かれた記者会見で同僚の田児賢一とともに謝罪した。

NTT東日本の調査によれば、
田児は2014年10月から2015年3月に東京都墨田区の違法カジノ店を
10回程度訪れており、桃田は田児の紹介で合計6回程度この店で
賭博行為を行っていた。

桃田は記者団に対して「今回、どんな処分を下されても、
しっかり受け止めて、しっかり自分と向き合って、
ちゃんと反省したいと思います」と語った。

これを受けて 日本バドミントン協会は10日に緊急理事会を開き、
桃田を日本代表選手指定から外したうえで
無期限の競技会出場停止処分とし、
リオデジャネイロオリンピックに推薦・派遣しないことを正式に決定した。

翌11日にNTT東日本も男子バドミントン部と
賭博に関わった選手に対する処分を発表し、
男子バドミントン部を半年間の対外活動自粛、
桃田を出勤停止30日とした。

 

「もうバドミントンは続けられない」、4年前の出来事
―― 2016年4月、違法カジノ店での賭博行為が発覚し、無期限の出場停止処分が科せられました。この4年間を振り返って、自分自身の中で変わったところはありますか?

あの時期は本当に調子に乗っていたというか、周りが見えず、すべてが自分中心になっていました。日本で一番強いのは自分、試合に出場することはもちろん、練習や試合でもいい環境が提供されて当たり前だと勘違いしていました。でも、それが一気に崩れ去り、何もなくなったことで自分自身を見つめ直し、忘れていた初心を取り戻せたように思います。https://2020.yahoo.co.jp/minnano2020/feature1/7

 

 

桃田賢斗選手が違法カジノで処分を受けることになった事実は
父・信弘さんやご家族にとっては大きなショックだったことは想像に

難くありません。


それでも信弘さんは、
「考えが甘すぎる」
「社会人なので自分で責任を取るしかない。
世の中に謝罪して自分の行動を改めてほしい」
とインタビューに答えています。

 

リオ五輪に出場していればメダル獲得は間違い無いと
言われていただけに残念です。

 

父と子が練習で築いた「スーパーヘアピン」という必殺技を
オリンピックで披露するチャンスが断たれたのですから。

 

本人もことの重大さに目を覚ましたようで、
「このような事態を招いてしまってバトミントン協会に
多大なる迷惑をかけてしまった。
どういう処分になるか分からないんですけど、
今までバトミントンに対して本当に全力でやってきたので、
どんな処分を下されてもしっかり受け止めて、
ちゃんと反省します」と語っていましたが、
悔やみきれない挫折だったと思います。

 

過去を教訓としてがんばる桃田選手

惜しみない拍手と声援を送ります。

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2020年1月号「広報みとよ」より

 

三豊市民の一人として、熱い視線を送り続けます。