「8月15日 2大ニュース」どっちが主役だ~? 台風はこれからも何度も来るけど、終戦記念日は年に1回です。もっと注目が集まると思いきや?
【目次】
1)主役を務めるはずだったニュース
2)忘れられないのは「ひめゆり記念館」
主役を務めるはずだったニュース
8月15日。
言わずと知れた「終戦記念日」です。
ほんとならもっと、この報道が主役を務めるべきでした。
この日を境に日本が大きく変わったのは、周知の事実です。
日本人として忘れることのできない重い日「終戦記念日」。
そして、令和時代となり天皇・皇后両陛下が出席されました。
NHKニュースより
幾重にも記念すべき重大行事でした。
国民の注目を集めるべきでした。
でも、大方の関心は「台風10号」の行方だったのではないでしょうか。
お盆で帰省した人の交通の便がどうなるか、
外国人旅行者の困り具合などに関心がいき、
テレビにくぎ付けになっていたんですね。
昨夜からのテレビの中継は、そんな速報や中継ばかりでしたから。
で、お昼のトップニュースで「全国戦没者追悼式」を見て、
「あ、そうだったんだ」と、思いを新たにした人も少なくないはず。
私もそのうちの一人で、国民として、少し浅はかだったかな?
と反省しています。
戦争と言えば・・・「沖縄」
戦争と言えば思い起こされるのはまず「沖縄」。
今は1つの「県」だけど、そういう呼び方はなんだかしっくりいかず、
つい「沖縄」と言ってしまいます。
「沖縄県」を奈良県だの佐賀県などと同列には見られないんです、
少なくとも私には。
あくまでも「オキナワ」なんです。
そう、激戦地となったあの地域。
日本の悲劇を一手に引き受けたような島。
沖縄へ1回だけ行きました。観光ツァーで。
首里城
美ら海水族館
私たちの乗ったバスが走るのはフェンスの外。
中へは行けません。そこは外国だとかで。
現地の人はフェンスの中にはあまり関心を示さないで暮らして
いるように思われました。
もしかしたら考えるのに疲れきってしまったんじゃないかと、
こんな言い方をすれば叱られるかもしれませんが。
忘れられないのは「ひめゆり記念館」
忘れられないのは「ひめゆり記念館」です。
かつて上皇様ご夫妻がのぞいて驚かれたという洞穴は、
それが存在するだけで多くの言葉はいりませんでした。
「ひめゆりの塔」は沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒の鎮魂のために、沖縄戦の翌年1946年に建立されました。
ひめゆり平和祈念資料館は、その「ひめゆりの塔」に隣接して1989年に開館した資料館です。沖縄戦に看護要員として動員されたひめゆり学徒隊の戦争体験を伝えるために、ひめゆり同窓会が設立しました。沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒227名の遺影や遺品、生存者の証言映像や手記が展示されています。また、ひめゆりの塔のそばのガマ(伊原第三外科壕)の実物大模型があり内部を見ることができます。
ひめゆり学徒の戦争体験を通して、戦争の悲惨さや平和の尊さを学ぶことができる平和学習の場になっています。
こんな所で「ひめゆり部隊」が潜んでいたのかと、
年端もいかない乙女たちの恐怖やおののきが迫ってきたものです。
さらに胸をゆさぶられたのが、学徒たちの悲痛な叫びの手記でした。
残念ながら撮影禁止だったので、その写真はありません。
周囲を米軍に囲まれた状況下で教官から
「ここで解散。あとは自分で命を護りなさい」と突き放されたこと。
武器弾薬が飛び交うなかで、どうやって逃げよと言うのか、
かき集められて「お国のため」という御旗のために働かされ、
手にあまると紙屑のように放逐された彼女たち。
もう、これ以上は言いますまい。
今日8月15日は「終戦記念日」です。
たまたま台風が重なっただけです。
お読みいただき、ありがとうございます。