多度津町は四国鉄道発祥のまちであり、少林寺拳法発祥のまちでもあるのです
10年ほど前の「平成の大合併」で、多くの町や村が消えて
「市」がたくさんできました。
そんな中でも多度津町は依然、もとのまま。
香川県仲多度郡多度津町です
四国鉄道発祥のまち
明治22年、多度津を起点に丸亀~琴平間が開通しました。
以来、交通の要所として栄え、「こんぴらふねふね」にうたわれるように
こんぴら参りのための本州からの旅客で栄えました。
多度津港には船客が多かったと聞きます。
この「交通の要所」であることは今でも変わらず、
JR「多度津駅」は予讃線(高松~松山)と
土讃線(高松~高知)の分岐点になっていて、重要な役目を果たしています。
桃陵公園
桜の名所です。
山頂から多度津港を含む瀬戸内海が一望でき、
今では造船会社などが目立ちます。
一太郎やぁ~いの像
昭和18年10月に建立されました。
戦前日本の愛国美談の1つを象徴するコンクリート像です。
この像は2代目で、初代のものは
戦時中に金属回収のために供出されてしまったそうです。
日露戦争は近代日本が西洋列強と伍するために立ち上がった乾坤一擲の大一番であった。明治37年8月28日、旅順攻囲戦の兵員を丸亀歩兵第十二連隊から補充するするため、軍用船土佐丸が多度津に寄港した。
この時、我が子に一目会おうと夜を徹して駆けつけた母がいた。そして、船を見つけると「一太郎ヤアイ鉄砲ヲアゲロ家ノ事ハ心配スルナ、天子様ニ克ク御奉公スルダヨ」と叫んで激励した。このエピソードは愛国美談として、大正7年からの国定教科書「尋常小学国語読本」に掲載され、全国民に浸透することとなった。
少林寺拳法発祥の町
桃陵公園の一角に見える風変わりな建物。
金剛禅総本山少林寺です。
多度津駅には、こんなモニュメントが。
少林寺拳法とは
戦後にこの地で設立された武道で、中国の少林寺とは目的・技法が全く違います。
始祖は宋 道臣。今は娘の由貴が継承しています。
少林寺拳法は勝ち負けを競うものではなく、
「人づくりの行」と位置付けられた護身術の一種です。
つまり、単なる武道やスポーツとは目的を異にし、
つよさ、やさしさ、かしこさの三徳が得られるとされています。
40年前には拳士が150万人いたとされていますが、
今は減少しているようで、実態ははっきりしないということです。
合田邸(こうだてい)
米穀肥料商として財をなした合田房太郎の邸宅。
氏は銀行や水力発電会社の要職につき、四国の近代化に寄与しました。
長らく無人だったものを有志の管理のもと息を吹き返し、
申し出れば内部を見学できます。
林求馬(はやし もとめ)邸
江戸時代に築かれた多度津藩家老林求馬の邸宅です。
月に1度、解放されるようですが、私はまだ行ったことがないので、
多度津町のホームページから写真を拝借しました。